募金パークについて

この話は書こうかどうか、数日迷っていたのですが、
覚え書きがてら少しだけ書いてみようと思います。
詳しくは以下の関係リンクを参照して、
どういうことになっていったかをご自分で確認してくださいませ。
My Days(KanameさんのBlog)
http://www.doblog.com/weblog/myblog/29100/683735#683735
↑こちらで関連リンクをまとめてくださってます。
日記(luna_lulnaさんのBlog)
http://blog.goo.ne.jp/luna_lulna/e/38bc0bb6de5eaa011133f53dca4d7e60
↑こちらで、今までの流れをまとめてくださってます。


判断は、読まれた皆様にお任せいたしますが、
大前提として、私は、今回の募金パークの件は詐欺だとは思っていません。
募金パークに対して意見されている方々も、詐欺であるとは思われてないはずです。
管理人氏が善意で始めた事を疑っている方は、私が読んだ限りはおられなかったです。


そして、管理人氏は善意ではあると思いますが、
善意を前提としたシステムは、悪意をもって、そのシステムを利用すると、
いくらでも悪用できます。つまり、抜け道が開いている状態なのです。
この先同じようなサイトが出来た時に、問題が起こらないようにしましょう。
そのために、疑問点をクリアにしていきましょうという提案がなされていたと、
私は今までの流れを追いかけていて読み取りました。
もちろん、これは私の読み取り方なので、他の方とは違っているかもしれませんし、
これが正解だとは言えません。
みなさん真剣に考えられて、質問・意見をされていたのだと思います。
それに対しての対応が、ヘルパー氏・管理人氏ともによくなかったのです。
善意によってなされたことであっても、それが人に迷惑をかけてしまう。
でも、善意でやったことだから迷惑をかけてもいいわけではありません。
そのあたりを自分も他山の石として気をつけていきたいと思います。


私がまだ小学生だった頃、募金活動に参加したことがあります。
街頭に立って、募金箱持ってというやつですね。
終了後、帰りにみんなでゲームセンターに遊びに行きました。
もちろんお金はリーダーに預けてましたが、リーダーも一緒です。
当然、みんな自分のお金で遊んでます。
遊びに行った話を、その時に行かなかった友達にすると、その友達が親に話しました。
「募金でゲームをしたのではないか」と疑われました。
自分達は悪いことをしていないと考えてますから、
最初は何故疑われるのかもわかりませんでした。(使い込むという発想もなかったです)
結局、その後の募金はリーダーと監視する人が、
募金終了後、すぐに一緒に郵便局(だったと思う)に行って入金する。という形になりました。


こういうことがあってから、私は街頭での募金は苦手になりました。
自分達が疑われたように、疑ってしまいます。
自分達の時は悪いことをしようとした人がいなかったからよかったですが、
一人でもそういう人が混ざっていたらどうなるのか。
本当に、募金活動をやっているのは名乗っている団体なのかとか、不安になります。
だからこそ、まだバックボーンがわかるコンビニとかで募金しています。
それにしても疑おうと思えばいくらでも疑えますし、
募金した金額がそのまま被災者に行くわけではないこともわかっています。
(当然、一部が募金先の団体の活動費になったりします)
だからこそ、疑われないようにしましょう、疑問点はクリアしていきましょうということです。


言葉というのは難しいもので、今は消されているヘルパー氏のBlogでの発言が、
色んな意味で波紋を呼びました。

「奇跡は頑張った人にしか起きない」

とき325号」のFlashを見ての発言だったようですが、言葉の選び方が不味かったと思います。
例えば、
とき325号に奇跡的に一人の怪我人も出なかったのは、それまでの努力があったからだ」とか、
この「とき325号」限定だとわかる書き方をすべきではなかったでしょうか。
もしくは、
とき325号に一人の怪我人も出なかったのは奇跡ではなく、努力のたまものである」とかにして、
「頑張らなかった人には奇跡が起きない」と取られないようにすべきだったかと。
「〜しか起きない」という表現の問題ですね。
11/23追記
↑の表現については、ときへの感謝状から引用したヘルパー氏に対するものであり、
引用元の、ときFlash作者の方への言葉ではありません。
↓原文を読んでいただければ、わかると思いますが、念のために。
上越新幹線とき325号【ありがとう】
http://hisasouseki.hp.infoseek.co.jp/toki325.html
もし、誤解された方がおられましたら、申し訳ございません。私の表現のミスです。


阪神大震災の時、私の家はお盆が割れた程度の被害でしたが、
私はあやうく大怪我をするところでした。
地震が起きた時、上の娘がまだ1歳になってなかったのですが、
私は起きて娘の上にかぶさって守ろうとしました。
すると、私の寝ていた頭のあたりにゴトンと重い物が落ちてきました。
そのまま寝ていたら大怪我、へたをすると死んでいたかもしれません。
でも、これはあくまでもたまたま助かっただけであり、奇跡でもなんでもありません。
そして「娘をかばったら、奇跡的に助かった」とは言えても、
「人をかばった人にしか奇跡は起きない」と言ったらまるっきり違う意味にしか取れません。


「李下に冠を正さず」という言葉を管理人氏、ヘルパー氏にお贈りしたいと思います。